先日、京都大学の吉井秀夫先生の還暦のお祝いがありました。吉井先生は、私が大学院生の時に立命館大学におられた縁もあり、韓国考古学に触れ、日韓交流史や比較考古学的な視点から研究をしようと思うきっかけをいただいた恩師の一人です。この度の韓国踏査は韓国考古学の勢いを肌で感じる旅になりました。大阪で開催された南秀雄さん代表科研のシンポで、李盛周先生の伽耶の代表的古墳群それぞれに土城が伴うとの発表内容に驚きましたが、実際に今回の踏査で3つの土城の現場を見学し、伽耶の内実が、より詳細に明らかにされるのだと感じました。この10年でかなり研究が進むはずです。その時、日本列島史をどう理解するか、さらに検討を深めるためにも、日韓考古学の交流は欠かせないし、その役割を担われている吉井先生のますますのご活躍を祈念いたします。
以下の写真は、韓国考古学会のポスターセッションの様子(2枚目)、整備された末伊山古墳群(4枚目)、朝鮮半島西南部の海岸の海南の港町の夜(5,6枚目)。原三国時代の漆器が多量に出土した1号墳で著名な茶戸里遺跡周辺の様子(7枚目)。最後は、弥生時代中期に糸島半島を中心とした九州との交易の拠点となった、勒島からみた夕日。訪問した3つの土城の現場の写真は、お見せできませんが、大規模な調査をこれから10年から20年の長期計画でするとのこと。今後の成果が非常に楽しみです。
以下の写真は、韓国考古学会のポスターセッションの様子(2枚目)、整備された末伊山古墳群(4枚目)、朝鮮半島西南部の海岸の海南の港町の夜(5,6枚目)。原三国時代の漆器が多量に出土した1号墳で著名な茶戸里遺跡周辺の様子(7枚目)。最後は、弥生時代中期に糸島半島を中心とした九州との交易の拠点となった、勒島からみた夕日。訪問した3つの土城の現場の写真は、お見せできませんが、大規模な調査をこれから10年から20年の長期計画でするとのこと。今後の成果が非常に楽しみです。
コメント
コメントを投稿